旅するナマケモノ

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ナマ介の嘘みたいな本当の話 パナマーコロンビアを徒歩で縦断



1989年ナマ介22歳の時、ナマ介はロサンぜルスから南下してきてパナマにいました。

パナマからコロンビアに下るには、道がないため船か飛行機になります。その頃は、船の数が少なく高かったため、飛行機で飛ぶ人が多かったようです。

 

パナマとコロンビアの間は、ジャングルの湿地帯になっており道が作れないのか、未だに唯一パンアメリカンハイウエイが通っていない地域になります。

 

ナマ介は、「道が作れないジャングルってどんな所だろう?」「そんなジャングルに住むインディオの人たちってどんな生活をしているんだろう?」と興味を持ち、直線距離で約87kmを徒歩で縦断することに決めました。

 

 

 

 

 

頼れるものは、パナマの地理協会でコピーしてもらた地図とコンパスとマチェテ(中南米で使われている山刀)

いざジャングルに入るとヒルや蠍に噛まれたり、道に迷ったり、何度も川を渡らなくてはならず、浅いところを探してなんとか渡ったり、乗り越えることも困難なほどの大きな大木が倒れていたりと中々前に進みません。ヒルや蠍にも噛まれました。

とてもとても直線距離では進むことなんてできません。

 

食事はパスタとコンソメを火を起こして鍋で煮て、水は川の水の上の方を掬って飲んでいたと言います。夜は、蚊帳を貼って、ポンチョに包まって寝ていたそうです。

今のナマ介からは想像もできないワイルドさです。若いって素晴らしい。

 

時折ジャングルの中に獣道が現れるそうで、それを辿っていくとインディオの村についたそうです。

村には50人くらいの村人がいたでしょうか、スペイン語のわかる青年がいたので何とか通訳をしてもらい、持参していた、砂糖やタバコ、石鹸などを村長さんに贈り、1〜2日泊めてもらうことに成功。

その村は、畑に鶏や豚自給自足に近い暮らしをしている村ではありましたが、木で作られた家に、ずらっとハンモックがぶら下がり、しっかりした鍋や皿などもあり、思ったより現代的な暮らしをしていたそうです。

村人は、川で入浴するのですが、持って行った石鹸に、みな大興奮していたのが印象的だったと。

 

 



そのころのパナマは、”パナマ侵攻”のあった頃で大統領が捕まり、ひと段落したかと思われた頃でした。

しかし、ナマ介がジャングルを歩いていると、頭上にヘリコプターがよく飛んでいて、何かあったのかなと思いながら歩いていたそうです。

 

すると突然ジャングルの中で6人ほどのアメリカ兵に囲まれて、映画でよく見るような

「HOLD UP」「Drop the weapon!」という言葉とともに取り押さえられてしまいました。

どうやら、ゲリラ兵がジャングルに逃げ込みアメリカ兵がそれを追っていたそうです。

 

荷物の中から日本のパスポートが出てきて、半分日本人と信じては貰えたものの、まだ半信半疑の様子で尋問が始まります。

ただラッキーだったことに、部隊長が日本の米軍基地にいたことのある人で、少し日本語を話すことができたので、本物の日本人であることがやっと信じてもらえたのです。

 

いろんな話をしていく中で、部隊長や隊員と仲良くなり、これまでの旅についての講演会までやったそうです。

 

最後には薬や食糧をもらって、安全な地域まで送ってもらえたという何ともラッキーな結末にはなりましたが、一歩間違えば命を落としている可能性だってあります。

 

幸運の神様には何度感謝してもしきれないくらいです。

 

その後のジャングルも無事に歩き終えコロンビアの街に着きます。

 

その頃のコロンビアは、麻薬王のパブロ・エスコバルが活動的な時期で、小さな街でしたがそこら中に警察がうろうろしています。

 

実は、ナマ介コロンビアについたはいいものの、何にも考えておらず、パナマの出国スタンプもなければ、コロンビアの入国スタンプもなかったのです。

 

小さな町に、見慣れない東洋人が歩いていれば当然、職務質問にあってしまいます。

 

案の定パスポートのスタンプがないことが見つかり、またもやピンチが訪れますが、最後に乗せてもらった砂糖を運ぶ船の船員を見つけて、パナマから歩いてやってきたことを何とか信じてもらうことができました。

 

 

中南米を旅した人々にお話しても半信半疑の、嘘のような本当の話。

 

ナマ介に感想を聞くと、「いい経験だったけども、もう2度とやりたくない」だそうです。

 

良い子の皆さんは真似しませんように。