ずるずると3年も居座っているうちに、沢山の友達ができ、その中にセルビア人の、「ニコラ」というジャズのサックス奏者がいました。
ジャズというと、アメリカ、日本、フランス、イギリスあたりが盛んですが、プラハも実はジャズが盛んで、その頃アメリカやヨーロッパのジャズ奏者がコンサートをやりに来ていたそうです。ジャズの好きなナマ介もよく聴きに行っていたそうです。
そろそろアパートの契約も切れるし、どこか他の国に行こうかと考えていたところ、ニコラが「うちに来いよ」と誘ってくれ一緒に住むことになったのです。
ニコラは度々コンサートに呼ばれて演奏するような人で、もちろん家でもサックスの練習をしていました。その音色がカッコいいこと。ナマ介も次第に、何か楽器をやってみようかなという気持ちになったと言います。
楽器など触った事のなかったナマ介でしたが、音色が好きだったトランペットをやってみたいとニコラに言うと、「是非やれ」と一緒に楽器屋に行ってくれ、コスパのいい入門用のトランペットを選んでくれました。
ニコラに基礎を教えてもらいながら、家で練習するのですが、これがまた難しく思ったように音が出ません。
そんな時、向かいのマンションから、トロンボーンの練習音が聞こえてきます。
その音がなんとも不快極まりなく、ニコラも時折ブチギレていました。
ただ自分の音を聞いていると、自分の音は、そのトロンボーン野郎以下なのではないか、ニコラに申し訳ない、という気持ちが芽生え始めます。
「迷惑にならない練習場所はどこだろう」と考えた時に、砂漠の真ん中のイメージが浮かんできて、しばらく砂漠も行ってないし砂漠が好きなナマ介は「サハラ砂漠でトランペットの練習をしよう」と思いつきます。
まずは、プラハからモロッコのカサブランカまで飛行機で飛びました。
何だかそれじゃあ面白くないから、ニジェールの北部あたりがサハラ砂漠の真ん中だろうと当たりをつけて、ニジェールの北部を目指しました。
モロッコからバスを乗り継いで、モーリタニア →セネガル→マリ→ニジェールの首都ニアメまで辿り着きました。
ニアメは、奇妙な町で砂漠の中から突然、高層ビルが現れ、そのビルは砂にまみれて老朽化してきておりゴーストタウンのような雰囲気でした。何でも、ウランが取れた頃に、高層ビルが建設されたがその後メンテナンスができずそのままになっているとのことでした。
そこから乗合ジープに乗って、アガデスという町まで行きます。
世界遺産にも登録されている、感じのいい土でできた町です。
ただここまでで道路は終わり、ここがサハラ砂漠の入り口となっていました。
そこからさらにサハラ砂漠の真ん中を目指します。
アガデスには、砂漠の中の小さなオアシスの村から、小麦粉や砂糖、油などを買いに来ている地元の人がいたので、人が集まったら出発するというシステムの乗合いピックアップトラックが交通手段になっていました。
そういった、乗合トラックを乗り継ぎ小さなオアシスを順々に進んでいきます。
乗り継いでいくごとに便数は減り、車はボロくなっていきます。
人が集まったら出るけれどもそうそう人も集まるものでもなく、3日待つ時もあれば、5日待つ時もありました。一番の奥地では大きなトラックをいっぱいにするため、1ヶ月待つハメになりました。
その乗合トラックで最も印象に残っているのは、何にもない砂漠の真ん中で一緒に乗っていた人が降り、40kgくらいある小麦粉を担いで、迷いなく地平線のかなたへと歩いていくのです。おそらくその先には、彼らの住む村があるのでしょうが、ナマ介には同じような砂漠の中でココだと分かるのがとても不思議でした。
ある時には、砂漠の真ん中で人が立ってその車を待っていて、手をあげて止め乗車してきます。いつ出るのかわからない乗合いトラックを毎日毎日待っていたのでしょうか?
何とも気の長い、すごい生活だなと感心したそうです。
一番奥地の方に行くダンプカーでは、途中で故障をして修理をしている間、気温56度の中をひたすら一日中待ったり、水が足りなくなった現地の人に水を盗まれたり、大変なこともありました。
しかし、ただただ広がる砂漠のなかを、ダンプカーの荷台からこぼれ落ちそうなほどのグッズと、その上にぎっしりと人が乗っていて一つの村ごと移動しているみたいな面白い光景でした。その頃カメラを持っていたらと少し後悔しています。
やっと目的地のサハラ砂漠の真ん中の何という名か忘れましたが、小さな村までやってきました。
さて、のんびりトランペットの練習でもしようかと吹き始めると音が出ない。。。おまけにピストンがビクともしない。ケースに入れていたのにパウダー砂が入り込んで、使い物にならなくなってしまったのです。
サハラ砂漠でトランペットの練習をすることは、かないませんでしたが、ナマ介曰く「これまた良い経験だったけど、2度とやりたくない。」そうです。