こんにちわ。ナマケモノです。
今回は、ホーチミンに10日間滞在してみて私が感じたことや、思ったことを纏めたいと思います。
以前、フエやホイアン、ハノイなどのベトナム北部を旅したことはありましたが、南部にあるホーチミンを訪れるのは初めてでした。
本当はメコンデルタにも行きたかったのですが、ナマ介が体調を崩しホーチミンをウロウロとしていた日々。
とにかく活気があって、人が多い。バイクが多くて、空気が悪いなぁというのが最初の印象でした。私はどちらかというと田舎の方が好きなのです。
多少観光もお買い物もしましたが、ソイという曲がりくねった路地裏をウロウロとしたり、狭い安宿のベランダから、活気のある市場や、バイクの修理工場の並ぶ通りを歩いて、人々の生活を眺めて楽しんでいました。
私が感じたのは北部の人たちに比べると、南部の人たちの方が明るい性格の人が多いのではないかということ。
南部の暑い気候も関係しているのだろうか?
路地から聞こえてくるお喋りの声や、夜にかかるカラオケのような音楽が賑やかでした。
街の雰囲気を表してみると、フランス植民地時代の建物や現代の高層ビル、華僑系の建物や東南アジアの雑多とした路地、全てが混在し混沌とした雰囲気がこの街の魅力かもしれない。
歴史を見ればそれもそのはず、最初はクメール人(カンボジア)の小さな漁村だった所に、明朝の滅亡により華僑が流れ込み、1623年からは鄭阮戦争で難民となったキン族(ベトナムの主要民族)が段々と増えていったが、シャム(タイ)との戦争で弱体化したカンボジア王国はキン族の流入を抑えることができず徐々にベトナム化していった。
19世紀のヨーロッパ列強によるアジア進出の流れにより、フランスはカソリックの布教と共にベトナムに強い足掛かりを設けていった。1858年、阮朝がキリスト教禁止に転じ、宣教師を処刑したことから、フランスーベトナム戦争に発展し1862年ホーチミンはフランス直轄領となる。その後も、中部、北部へと支配を拡大しようとするフランスとベトナムに宗主権を主張する清が対立し、清仏戦争となる。
1904年頃からフランス植民地からの自立を求める独立運動が始まり、1930年にホーチミンがベトナム共産党を結成する。
1940年フランスがドイツに占領されたことを受け、日本軍がベトナムに進駐し1941年にはベトナム全土を支配した。
1945年日本軍が撤退後、ベトナム民主共和国が独立を宣言しホーチミンが大統領となったが、フランス軍が再度進駐しインドシナ戦争へと突入し、54年に勝利するもアメリカの介入で南北に分断される。
1965年頃からベトナム戦争へ突入、1975年に北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線が勝利しベトナム統一がなされた。
ベトナムの歴史も知っているようで知らなかった。
こうやって旅をしていると、なんでなんだろう?と疑問が湧いて、調べて、少しずつその場所の歴史を知り、他の所と繋がっていったりもする。そうするとどんどん旅が面白くなって、行きたい場所も増えていくのです。
旅は良い学校だなぁとつくづく思います。
これだから、旅はやめられない。
こうして歴史を振り返ってみると、やっと平和が訪れた街が息を吹き返したように発展を続けているように思えてきます。
人口も右肩あがりで、2019年には900万人にまで増加しています。
バイクや車による大気汚染や交通が社会問題となっており、ホーチミンの地下鉄も建設中でした。(開通しそうでしないですね。)
ホーチミンに住む友人は、交通渋滞がひどくて遊びに行く気になれないと言っていました。生活をする人は大変だろうなとも思いました。
今後も発展を続けていくであろうホーチミンではありますが、まだまだベトナムらしさが残る市場や、どこに連れて行かれるかわからない路地、人々の生活を眺めていると東南アジアに来ている実感が湧きます。
観光名所はそんなに多くないホーチミンですが、ベトナム料理を楽しんだり、お買い物を楽しんだりするには良い場所だと思いました。
ベトナム料理といえば、フォーや生春巻き、バインミーが思い浮かびますが、街を歩いてみるとベトナム料理の種類の多さに驚かされました。
都会には、たくさんの屋台があり、レストランがあります。
ベトナム料理を探求するだけでも楽しそうですが、時間もかかりそうです。
長く滞在するなら、おじいさんおばあさん達にお話を色々聞いてみたいけど、それにはベトナム語を勉強したほうがいいし、一つの場所を知るにはある程度時間がかかるものだよなぁと、
そんなことを思ったホーチミン滞在でした。